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ITが経営に影響を与えるほど日本企業はまだDXしてない

V字回復のクラウド美談「陣屋」事例の正しい読み方

2018年10月18日 09時00分更新

 神奈川県鶴巻温泉にある老舗旅館「元湯 陣屋」のV字回復記事があちこちで話題になっている。最近、取材でもよく出てくる事例だ。しかし、この事例の読み所は単なるテクノロジー活用ではなく、必然性のある経営判断とラッキーがあったのではないかと思っている。

読者の読みたい記事を作りやすい事例

 クラウドを活用することで代替わりとともにV字回復を実現した元湯 陣屋のユーザー事例。調べてみればわかるが、IT・Web系メディアのみならず、大手新聞やTV、女性誌、旅行業界誌までジャンルも多岐に渡り、特にこの半年間の露出がすごい。

 これだけ多くのメディアに取り上げられるのは、やはり事例が多角的に捉えられるからだ。10年前に10億円あった負債からのV字回復ストーリーはビジネス誌にとっても取り上げやすいし、旅館業界では珍しい週休3日の導入という点は昨今話題の働き方改革系のネタとしてうってつけだ。もちろんクラウドやIoTの導入、自社開発システムの外販による新たな収入などITという観点でも、メディアがよだれを出すほどの豊富なネタが数多く揃っている。

 なにより、和服姿の女将や社長が先代からの引き継ぎまで含めて、わりとエモい話まで先頭に立って話してくれるということで、ストーリーが作りやすいし、絵になる。元のネタがよいので、さまざまな角度で読者の「読みたい」コンテンツに仕上げられるところがポイントだと思う。タイムラインを見ていて面白いのは、ITに精通した人こそ、この事例を気に入るのだ。

 しかし、個人的に危惧しているのは、クラウドを導入すれば一足飛びにV字回復するとか、自社開発サービスが外販できるといった「クラウド美談」に捉えられてしまうことだ。陣屋に関しての記事を読み込んでいくと、黒字に結びつくための必然的な経営判断とラッキーが見えてくる。

クラウド導入の背後にあった経営判断とラッキー

 まず大前提として同社はパート・正社員あわせた従業員を120人から40人にまで減らしている。もちろん、社長も女将も「リストラはしない」と明言しているが、実際には現場の3人に2人が辞めているわけだ。意地悪な言い方だが、ベテランが会社の方針に従わずに去って行くような場面をドラマ化したら、さぞ事例の印象も変わるだろう。

 とはいえ、50%だった人件費は23%に落ち、離職率が33%から3%になったのは大きい。休みも週3日にも増やしたことで、光熱費も削れているはず。数字に明るくない記者でも、人件費の削減を徹底し、その原資からIT予算と増えた正社員の報酬を捻出したということは容易に読み取れる。陣屋事例の読みどころは、出血を伴う改革をスピーディに意思決定したという経営判断というビジネス文脈。ITはあくまでツールであり、重要なのはやはり使う側に覚悟があったという点だ。

 また、決してITに明るかったわけではない旅館がクラウド化を推進できたのは、元SEという経歴のフロント係を雇用できたというのも大きいと思われる。エンジニア不足が叫ばれるさなか、こうした人材がふらっととれたというのは僥倖としか言いようがない。メディアには出てこないこの人物が、クラウドに興味を持つ経営者の相談役として、ベンダーとの仲立ちとして大きな役割を果したはずだ。過去、さまざまな事例取材をしてきた経験からすると、IT導入で大きかったのは経営者や情シス部長ではなく、導入パートナーだったり、現場の隠れたキーマンだったりすることはけっこう多い。

 今回のような事例がIT導入のきっかけになるのは素晴らしいとは思うが、経営者やマネージャーのねじれた誤解で現場が疲弊するのだけは避けてもらいたいのが今回のまとめ。デジタルトランスフォーメーション(DX)は最近のキーワードだが、紙だらけのビジネスフローと基幹システムのレガシーさをExcelマクロと現場の根性で補っている日本企業の多くでは、そもそも経営に影響を与えるレベルにまでITは浸透していないし、経営者に理解もされていない。

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