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初開催の鈴鹿10時間レースでミクAMGは日本勢最上位の5位!

世界の壁は高かった!
だが日本勢最上位の5位

 26日(日)の決勝日はレースウィークで一番気温が高くなり、午前中の時点で気温32度、路面温度44度という状態。そんな中、10時に決勝レースはスタートした。SUZUKA 10hの主な特別ルールとして、1回のドライビングスティントは最大65分、最低ピットストップ時間82秒があり、SUPER GTとは違った戦略になる。

 最初のスティントは片岡選手が担当。1周目に3台抜いて18位に上がり、途中で20位まで落ちたが22周目には18位に戻し、やや早めの23周目にピットインし谷口選手に交代した。アウトラップでは32位になったが、谷口選手の快走と他車のピットインも手伝って、35周目には11位まで上がってきていた。

 だが、10位を走るポールポジションだった28号車(HubAuto Corsa)との差は大きく、ペースは同じためにレースは膠着。順位はそのままで50周目にピットインし、可夢偉選手へと交代した。可夢偉選手の追い上げで69周目にはポイント圏内の8位を走っていたが、後ろから徐々に差を詰めてきていた66号車(AUDI SPORT TEAM WRT)に追いつかれ、一進一退の攻防を繰り広げた。

 66号車を抑えて79周目にピットイン。このタイミングでクラッシュした車両がいたため、フルコースコーションとなり、80周目にセーフティーカー(SC)が入る。2回目の片岡選手にチェンジしてSCの隊列に加わった。84周目にSCは解除となりレースはリスタート。再び後ろから迫り来る66号車と、前を走る911号車(Manthey-Racing)バトルになるも、10位を守って104周目にピットイン。

 2回目の谷口選手のペースもよく、アウトラップで16位になった順位を上げていく。132周目に2回目の可夢偉選手と交代すると、150周目には7位になっていた。160周目にピットインし、3回目の片岡選手に交代。アウトラップも7位と順位を下げることはなかったのだが、前を走る66号車とは30秒以上の差がついており、ペースもほぼ同じなので追いつけずにいた。

 189周目にピットインし、谷口選手は今回最後のスティント。前とも後ろとも差がついていたので、再びレースは膠着してしまうが、27号車(HubAuto Corsa)が接触でストップ。6位に上がる。この時点で前を走るのは07号車(Bentley Team M-Sport)、後ろを走るのは08号車(Bentley Team M-Sport)と、ベントレーに挟まれる形に。

 07号車は00号車より1秒近く速いペースで走るほどだったが、214周目にトラブルでスローダウン。ついに5位になった。だが、4位までは40秒以上、1位にいたっては2分近い差が開いており、追いつくのは至難の業だ。

 218周目に8回目のピットイン。可夢偉選手も最後のスティントとなる。アウトラップで下がった順位は226周目には5位に戻していた。背後からはじりじりと差を詰めてきた08号車が迫っていたが、別のマシンとバトルが始まり、このスキにまた差を広げた。

 246周目、レース最後のピットイン。アンカーの片岡選手は唯一の4回スティント。チームやファンの期待を背負ってコースに復帰する。速いペースで走ってはいたが、残り1時間くらいから背後の08号車とのタイム差が縮まってくる。ラスト30分、260周目にはついにその差はコンマ数秒、テールトゥーノーズになった。

 最高速に優れる08号車とコーナリングに優れる00号車のバトルは何周にも渡り、日没後だったので強烈なヘッドライトを背中に浴びながら片岡選手は順位を死守する。日本勢で最上位ということもあり、実況のピエール北川氏の煽りもあって、グランドスタンドでは観客全員が配布されたペンライトを緑色にして声援を送ってくれた。その後、08号車はペースダウン。5位のまま10時間のチェッカーを受けた。

 表彰台には乗れなかったが、世界の強豪チームを相手に5位に入り、アジア人ドライバーが2人以上いるチームが対象のアジア賞では1位を獲った。SPAのリベンジとまではいかなかったが、世界基準のルールで戦ったレースで残した爪痕は大きい。

 この勢いのままSUPER GTも連覇に向けて走り続ける。

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