作曲家のプライベートスタジオといえば、所狭しと並ぶ鍵盤や高級ギター、大型のミキサー台などを想像する人が多いのではないだろうか。
ところが、総合格闘技RIZINの音楽監督としても知られる佐伯栄一氏の都内からほど近いプライベートスタジオは、意外にもMacBook Proと数台のモニター、シンプルなMIDIキーボード※のみで成り立っているという。彼が現在の環境を実現した意図とは?
※MIDIをDAWに入力するためのキーボードで、ほとんどの場合、音源を内蔵しない。シンセサイザーやキーボードの機能を兼ねるモデルもある。
当日に曲が変わることも多い
ーー佐伯さんはイベントの音楽を担当されることも多いと思います。イベントならではの苦労はありますか?
「総合格闘技の『RIZIN』に2年前から音楽監督として関わっているのですが、当日、現場で『心臓の音が欲しい』って言われたんですよ」
ーー当日ですか。
「そのときは、すぐに心臓の音を何パターンか作って、本番前に『どれがいいですか?』って選んでもらいましたね。あとは、カウントダウンが欲しいと言われて。カウントダウンの素材は持っていたんですけど『女の人の声じゃなくて男の人の声がいい』って言われて(笑)。そのときもなんとか作りました。
僕はMacBook Proをメインのマシンにしているんですけど、ノートPCの強さって、一番はそこだと思っています。現場にいても、スタジオと同じ環境で曲が作れるっていう。唯一悩んでいるのは、今使っているインターフェース(Apollo Twin)の出力が少ないことなんですよ。出力が足りないときは、音効さんにインターフェースだけ借りたりしていて。これ、出力を増やしたら完璧なんじゃないの? って思います」
ーー土壇場で変わることが多いというか。
「そうです。ほかにも、ファッション関係のショーなんかだと、ブランドさんによっては、リハーサルの段階で急に『う〜ん? ちょっとこれ違うかも。この曲じゃない方がいいんじゃない?』って(笑)」
ーー(笑)
「直前で『ちょっとこの曲、違うよね? ちょっとこれに変えてもらってもいいですか?』っていうことも全然あるんで、その場でエディットしたり、音圧を調整したりしなきゃいけないんです。格闘技でも、選手の方が『俺はこの曲では入場したくない。この曲にしてくれ』とか。『何かありましたか?』ってきくと、『親父と喧嘩したんだ』みたいな(笑)」
シンセセイザーはすべて売ってしまった!?
ソフト音源に統一する意義とは
佐伯氏は、ハードの環境と同じように、ソフト音源やプラグイン※ソフトウェア面も「持ちすぎないように」しているらしい。その理由には、現代の時流の速さを鋭敏に察する彼独特の感性が隠されているように思う。
※音源を処理するためのソフトウェアを指す。イコライザーやコンプレッサーなど、元来はラックマウント式のハードウェアをソフトウェアでシミュレートしたもの。
ーー作曲の際に生音を使うことはないんですか?
「もう、ないですね。全部ソフト音源です。前は『Minimoog Voyager』とか色々持っていたんですけど、『もう要らねえ!』と思って、全部売りました。いま考えたら、あれは売らなきゃよかったかもしれない(笑)。ほかのシンセサイザーはソフトでもなんとかそれっぽい雰囲気が作れるんですけど、あれだけはソフト音源だとなんか違うんですよね」
ーーということは、ノートPCとMIDI鍵盤だけあれば、どこでも同じ環境ということですね。
「そうです。めっちゃシンプル。プロの作曲家の中で、一番シンプルな自信があります(笑)」
ーーでも、制作されている楽曲のシンセサイザーは、生音感がすごくありますよね。
「YouTubeでジャンキーXLっていうマッドマックスのテーマとかで有名な人が、生音感を出す手法みたいなのを紹介していて。『こうやってやんだよ!』って。動画をたくさん上げてるんですよ。それ見たり。いろいろ研究したりしましたね。
で、生音感って、オートメーションのカーブをどれくらい書くかっていうことらしいんですよ。けっこうオートメーションは気にして、細かく書き込んだりしていますね。これとか(過去の楽曲を聴かせてくれる)。日本のハンス・ジマーって紹介してください(笑)。
いまって、ハードウェアを使っている人って、実はそんなにいないんじゃないかって思うんですよね。『この音だけはソフトでは再現できないから、どうしてもとっておきたい』とか、『全部生音で作ることにこだわりがある』とか、そういう理由でもないと、どう考えてもソフト音源の方が効率的だと思うんです。
ハードにこだわると、いまの世の中のスピード感についていけなくなると僕は思うんです。極端な話、夜に依頼がきて、朝までに仕上げなきゃいけない仕事があるとするじゃないですか。
そんなときに、アナログシンセを立ち上げて音作りしていると、『いや、これじゃないよな〜。もうちょっとこうだよな〜!』って、絶対なりますよね(笑)。気づいたら朝になって、一音もできていなかったりしちゃう。それなら、僕はハードは要らないなって。それよりも、ソフト音源でスピーディーに、簡潔に作りたいです」
ーー舞台「真田十勇士」の劇伴音楽では和楽器も使用されていますが、和楽器は生音も使っていますよね?
「和楽器は生音も、打ち込みで作った部分もありますね。和楽器って、おもしろくて。西洋の楽器とはちょっと方法論というか、考え方が違うんですよね。例えば、西洋のフルートとかは、教則本があって、『こういう風に吹くのが正しい』というのが書物として伝わっているので、ある程度の型がある。
一方で、和楽器っていうのは基本的に口伝で奏法とかが伝わってきたものなので、粗もたくさんあるし、奏者によってもぶれがあるんです。『お前、そうじゃないよ。もっと、こうだよ。『うん、だん!』 って叩くんだよ!』みたいな(笑)。そうやって代々受け継がれてきたものだと思うんです。でもある意味、その綺麗すぎない部分が和楽器っぽさだったりするんですよね。
なので、尺八とかは『しゃくり』っていって、敢えてキーのど真ん中を狙わないで、微妙にずらしたところから狙ったキーに運ぶ奏法があるんですけど、そういうのを全部やめて、西洋的な吹き方をすると、西洋の笛っぽい感触になっちゃう。あのときは、いろいろとそういう発見がありましたね」
週刊アスキーの最新情報を購読しよう
本記事はアフィリエイトプログラムによる収益を得ている場合があります