週刊アスキー

  • Facebookアイコン
  • Twitterアイコン
  • RSSフィード

東大ベンチャー・ダブルエル保手濱彰人社長インタビュー

「タルるートくんVR化したい」江川達也さんも認める“超ヘンな起業家”

2016年02月22日 17時00分更新

急降下、急上昇、急降下

 ホリエモンのカバン持ちで刺激を受けるとともに、テレビ番組「ガイアの夜明け」などにも出演してテンションはMAX。やるなら今でしょとばかりに勢いで会社を登記したのが2005年12月。何のビジネスプランもないまま親を説得して金を借り、すべてノープランのまま渋谷・道玄坂に会社ができた。

 ホリエモンが逮捕されたとき取材の対応などをしていたが、向かう先は何も考えていなかった。何もしないのはさすがにまずいと、当時「教育を良くしたい」という思いがあったことから、ひとまず個人指導塾を立ちあげることにした。

 しかし何の特徴もないごく普通の学習塾。いくら東大出身者が経営しているとはいえ、名前もなく、怪しまれ、チラシも受け取ってもらえず、客は1人も来なかった。売上は長らくゼロ。5人いた創業メンバーは当然のように離れていった。

 「前年には『カバン持ち』で目立っていて『イケてる東大の起業家』と言われていた。その落差ではんぱなく落ち込み、つらい気持ちがありました」

 その後、営業の成果でじわじわ生徒数は増えたが、実態はベンチャーではなくたんなる零細企業のままだった。世界一を目指したのにと思いなおし、あらためてITビジネスを志す。新たに会社をたちあげると、IT未経験のまま客を取り、プログラムを学びながら力まかせに業務をこなしはじめた。

 当時は折りよくスマートフォンが出てきたばかりの時代。ソーシャルゲームが伸びる中、会社はスマホ向けソシャゲのバブルに乗れた。売上はうなぎ昇りになり、一時期は約70人の従業員を抱える大所帯にまで成長した。

 しかし急成長したものだからマネジメントは最悪。「半年納期の仕事が1年立っても終わらない」というとんでもない事故も続発し、かせいだ5000万円ほどはみるみる溶けた。従業員の給料も払えず開発人員は次々に抜け、チームごと他社に投げるように譲渡したこともあった。天国から地獄への急転直下だ。

 しかしそこまで来ても経営をやめようとは思わなかった。本人いわく「子供のころから心臓に毛が生えているから」。

 会社の方針を変えたのはソシャゲバブルがはじけはじめたとき。ゲーム開発予算も1億円単位になり、中小零細の参入はほぼ不可能になっていた。いいタイミングだと次のビジネスを探しはじめ、着手したのがコンテンツビジネスだった。

この記事をシェアしよう

週刊アスキーの最新情報を購読しよう