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「僕が伝えたかったこと、古川 享のパソコン秘史 Episode1 アスキー時代」発刊記念

若者はもっとわがまま言っていい、元マイクロソフト古川享氏からエール

2015年12月24日 17時00分更新

 12月11日、インプレスR&Dから『僕が伝えたかったこと、古川 享のパソコン秘史 Episode1 アスキー時代』が発刊された。

Image from Amazon.co.jp
僕が伝えたかったこと、古川享のパソコン秘史 (NextPublishing)

 古川氏はアスキーを経て、マイクロソフト日本法人の初代社長となり、米マイクロソフトの副社長まで上り詰めた人物。現在は慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科で教鞭をふるっている。

 本書は1980年代、国内パソコン市場の黎明期を中心に古川氏自身が自ら立ち会った数々のエピソードを紹介。アスキー時代や、NECのPC-98シリーズから世界標準のDOS/V機への移行の裏側などに触れている。この記事は刊行に先立ち、執筆の背景について聞いたインタビューをまとめたもの。

 なお、12月29日(火)発売の週刊アスキー電子版では、本書の内容のうち特別にアスキー時代の逸話の一部をピックアップし、掲載する許諾もいただいた。

 週アス編集長・宮野友彦の若かりし時代もチラリと垣間見られたりもするので、興味があればぜひ手に取ってもらいたい。

パソコン業界は終わっていない、新しい夜明けのときだ

── いまのパソコン業界をどう思っていますか?

 新しい製品には、今でも目移りしてしまいますね。魅力的なモノが本当に次々と出てきています。世の中では「PCって終わったんじゃないの」って言う人がいるけど、「まだまだこんなに面白いことがどんどん出て来てるじゃない」と言いたいです。

 自分たちも昔は「最近の若いもんは」ってよく言われました。でも、「いまの若いヤツって結構面白いことやってるぜ」っていう気持ちがあって、ドキドキします。競争ですごく疲れているはずなのに、よく新しいことを始められるなって、特にパソコンのメーカーには頭が下がる思いです。若い人にチャンスを与えるという雰囲気からいい方向性が生まれていると思います。

 一方で、いいと言われている「iPad Pro」を実際に使ってみたら「あれっ!?」って思ったり、「Surface Pro」や「Surface Book」の登場でカニバリズムが起きたりしている。こうなるとパソコンの上級機種はもう死ぬんじゃないかって意見もあるけど、一方でこういう「あれっ?」と感じる気持ちは、日本のパソコンは品質の平均点が高かったことと裏返しだと思います。

 日本のパソコン業界は最先端を走ってきたし、新しくていいものを作ろうと努力してきたことは忘れてはいけないと思います。

 確かに売上や出荷台数のグラフを見ると、失速寸前みたいな状態もあるけれど、これを超えた先に、何かまたもう一回、新しいものが生まれてくる“夜明け”が来るんじゃないかという気持ちもするんです。

生産性から創造性へ、パソコンの意義が変わってきた

── パソコンは高性能になりすぎた。オーバースペックで、もう使いきれないっていう人もいますが、どうお考えですか?

 自分の家にあるノートで「Pro Tools」が動いて、さらに4Kの映像編集までできるなんて10年前には思わなかったですよね。それが今は当たり前になった。

 かつては100万円や200万円の投資が必要だったツールが、20~30万円のパソコンで動くようになりました。これはどういうことかというと、クリエイティブを発揮するためにプロ用の専用機材は不要になったということ。パソコンは物書きや家計簿みたいなプロダクティビティを高めるツールだったけど、クリエイティビティを発揮できるツールに変わったのです。これにはワクワクしますよ。

 10年前の自分はまだビジネスの最前線にいて「来期の予算がどう」とか「提案書がどうとか」そういうことにばかりにパソコンを使っていました。だから、キーボードやディスプレーは「見るのもイヤ」という感じでした。でも今、落ち着いてパソコンに向き合ってみると「そろそろ写真集出したいな」とか、「ハイレゾ音源の編集したいな」なんてことが手軽になっていることに気付きます。

 翻って今の子供たちがパソコンをどう使っているかを見てみると、ターボ・パスカルやN88-BASICでちょこちょこやっていた大昔と全然違う。マインクラフトをやりながら、傍らのiPadでテクニックを検索し、パソコン上でコマンドラインをガンガン入力しながら、プログラミングを書く。そんな小学3~4年生がいたりします。こりゃもう僕らの世代じゃ想像つかないなって思いますね。

 いい環境があれば人間の可能性はどんどん広がる。昔、思い描いたストーリーが実現しつつあるんだなって感じます。

道具は「使いこなす」ものではない、どう組み合わせれば
新しい可能性を拓けるかを考えるべきもの

── マイクロソフトの日本法人で、初代社長を務めた古川さんですが、実はMac派だったと聞いたことがありますが?

 そういえば、マイクロソフトの日本法人ができた直後、1986年末までExcelの取り扱いはキヤノン販売でした。だからサポート電話が掛かってきてもそちらに取り次げという指示が出ていました。ある日、電話に出たら相手が電話口ですごく怒っている。「サポートの古川です」と言ったら「日本のマイクロソフトができたのになぜExcelのサポートができないんだ、社長を出せ!」と(笑)。

 マイクロソフトにいるころから、僕の机にはPCとMacintoshの両方がありました。実はMS時代も契約書はほとんどMacで書いてレーザーライターで出力していたんです。当時から「いいものは使おう」と。

 それと、昔バルマー(米マイクロソフトの元CEO)に自慢しようと、VAIOのカタログを開いて「ここからここまで全部」って大人買いしたこともあります。でも、彼は「へぇ」という感じの薄いリアクションで、テレビが映るとか音楽ができるとかそういうことに全然興奮しない。でも僕の感覚では、道具は“使いこなす”というより、それで“何ができるか”を考えるためにあるものなのです。

 例えばドローンだって、単に飛ばして楽しむだけじゃつまらない。撮影だけでもダメ。ちょっとしたミニプロジェクターを載せて、中空からペンダントみたいなセンサーデバイスを追いかけて投影できるようにしたら、どんなダンスを踊っていたってきちんと位置を合わせて投影できるはずだよね。花嫁が衣裳替えする際に、いきなりパッとプロジェクターで照らしたり、白装束のアーティストを派手に演出したり──

 だからメディアも、ドローンを飛ばすとかどんな映像が作れるかだけじゃなく、ほかの機器と組み合わせたら、どんな楽しいことができるか。その組み合わせの楽しさを、きちっと煽ってくれなきゃダメだと思いますよ。

── 最新のWindows 10やMacOSについてどんな意見をお持ちですか?

 思想がないままランダムにいろんなチャレンジをしているように見えることがあります。体系的に進めれば、ここで育って、次はこのステージに上がって……という道筋が見えるはずだけど、また「変わった。次はどこに行くんだろう」という危うさがどちらの環境にもあるような気がします。

 今まではローカルディスク内のサーチで済んだのに、例えば、オンラインストレージに入れた写真が見つからなくて絶望的な気分になることがありました。自動的にアーカイブされているはずなのに、延々と探し回っても結局見つけられないなんて経験をすることもあります。

 一方で、Officeのファイルは自動的にOneDriveに保存され、無制限で使えると言っていたはずなのに、やっぱり止めたなんてこともある。

DOS/V標準化の裏側にあったエピソード

 本書のクライマックスと言える部分のひとつに、DOS/V標準化のエピソードがある。1980年代の終わり、国内のパソコン市場はPC-9801に代表される日本仕様のパソコンが主流だった。一方海外ではIBM互換機がデファクトスタンダードとなっていた。そんな中、IBMが特別なハードの追加なしに、IBM互換機で日本語を使えるよう開発したのがDOS/Vだ。

 一方国内のパソコンメーカーにMS-DOSを提供していたマイクロソフトは、数億円の巨費を投じて、漢字表示に対応したMS-DOS/AVというOSを密かに開発していた。しかし、このMS-DOS/AVが完成するころ、すでにDOS/Vの認知は進んでおり、MS-DOSではなくIBMから直接DOS/VとBIOSをライセンスを受ける流れも生まれつつあった。マイクロソフトから見れば、これまで築き上げてきたOS市場での立場が揺るぎかねない危機。そこで古川氏が自身の進退をかけて臨んだのが、日本IBMとの交渉だったという。

お金はないけれど、DOS/Vを下さいとお願いに行った

── この本にはパソコン業界の黎明期に起こった様々なエピソードが紹介されていますが、ご自身の仕事として一番大きかったことはなんでしょうか?

 仕事としての達成感で言えば、やっぱりDOS/Vの話ですね。

 NECでPC-98をやっていた人たちには育ててもらったから裏切りたくなかったし、IBMがBIOSもDOSも直接日本のメーカーにライセンスするということになったら、それはそれでユーザーにも迷惑がかかると思っていました。では一番いい解決方法はなにかと考え抜いた末、日本IBMに「お金はないけれど、ちょうだい!」っていう、ある意味馬鹿げた無心に行って、「まあ、しょうがねぇな」って許してもらえたことです。

(本書では、日本IBMの大和研究所に古川氏が単身で乗り込んだエピソードが紹介されている。そこで古川氏は、MS-DOSを日本語化するための開発費はすでに底をついており、新規開発もIBMからDOSのライセンスを買い戻す資金もないこと。マイクロソフトとIBMのOSで市場が2分すると顧客に不利益が生じるし、IBMにとっても互換性のために/Vの開発を延々と続けることは負担が大きいと説いた。40人近くいる日本IBMの関係者の前で、DOS/Vの拡張部分をMS-DOS本体に取り込むことに同意してもらえれば、マイクロソフトがDOS/Vを将来にわたって保守していくと申し出たそうだ)

 自分が成し遂げた仕事を振り返ったとき、「たいしたことねぇだろ」ってみんな思っているかもしれません。でもただ1点、皆さまのお役に立てたと思えることがあるとすれば、AX(IBM互換機に日本語機能を追加したパソコンの規格で、マイクロソフトが先導していた)やMS-DOS/AVなんかをやって業界の足並みが乱れ、PC-98もこの先どうするんだって状況が生じていたとき、これからはDOS/Vだと、ひとつのプラットフォームに収束していくきっかけを何とか作らせてもらえたことです。

 少し大げさな言い方かもしれないけれど、この点は「ちょっと自分を褒めてやりたいな」と思います。

若い奴らはもっとわがままを言っていい!

── 逆に今の若い人たちに言うとしたらなんでしょうか?

 いろいろなインシデントやアクシデントによって、本当に絶望的な気持ちになる瞬間って人間にはあるじゃないですか。失恋したとき、仕事が上手く行かなかったとき、人に裏切られたとき……。

 新入社員や若い学生によく言うのは「今まで、自殺に何回成功した?」ってことです。

 「1回も成功してないから今ここにいるんだよね」と。「もう死んでもいいや、死にたいな」と思ったことは何回かあるでしょう。でも、まだ死んでないよね、と。

 次に、「まだ結婚してる人は多くないかもしれないけれど、2~3回離婚して、ちゃんといい生活ができている人はいる」ということ。一方で4~5回転職しても成功できれば、別にいいじゃないっていう風潮はある。でもこれが逆転して、2回転職したけど、5回離婚もしましたとなると、「この人の性格には問題あるんじゃない?」って思われますよね。

 何が言いたいかというと、大切なのはまず自分。次に家族で、3番目が会社ということ。一番大切にしなきゃいけないのは自分自身。だから「死ぬなよ」って話しと、自分自身がやりたいことを貫くためには「会社を辞めなければならない場合もあるよね」ということです。だから第一に自分を考えてほしい。二番目に家族。会社よりも家族が大事だと思ってくれないと、きっといい仕事はできない、

 ただし実際には、これをやってみたいという夢を“家族のために”とか“会社のために”とか言って途中で捨ててしまう人がすごく多いと思います。

 自分がラッキーだったと思うのは「家族をどこまで大事にしましたか?」「会社をどこまで大事にしましたか?」という点は置いておいたとしても、自分のやりたいようにやらせてもらえた。「本当に有難う」という気持ちがあります。

 人間って、人を裏切ったり、傷つけたりしないなら、もっとわがままでいいんです。そういう共通認識を若い人に対する、メッセージとして届たいです。

 若いのにうまくいかないことを憂いたり嘆いたり、批評家になってはダメ。批評している暇があるなら、自分のやりたいことをやったほうがいい。力になるから。

 いろいろなトライアルをしたり、PCやMacを愛して頑張っている若い人たちにはスゴク期待してるの。おじさん的には「最近の若い子は」っていう気持ちはまったくなくて、むしろ「いいじゃん、最近の若い子。まだ俺も頑張らなきゃっていう刺激を皆からもらうよ」っていう気持ちにさせられます。

 この本を読む読者に言いたいのは、おっさんの昔話は関係ないから「けっ」って思っていい。それよりも、年上の人たちに支援してもらうためにこういうカラクリや手練手管が使えるってことをこの本で学んでほしいということです。ジジイや年配の人からは助言ではなくて、失敗したときの助けをもらえばいい。エネルギーを与えてくれるボスがいるなら、そういう人と会社を興してもいい。

 そういう出会いを通じて、自分だけではできなかったことがやれるようになるのはすごく素敵なことだからぜひ目指してほしいというのが、この本の骨格です。

 僕らの世代は、ハッキリ言って、いまよりずっとわがままだった。おじさんたちも「こいつらは宇宙人だから、同じ言葉で話してもダメ。勝手にやらせたほうがいい結果を生むんだ」とあきらめていた。これは最高の評価だけど、違う言葉を話す人たちがいるなら、その人と通じる言葉を話せる人間にチャンスを与えようと思ってくれた人がたくさんいたんです。

古川 享(ふるかわ すすむ)

日本のパソコンの草創期よりアスキー、マイクロソフトと常にその中心にあって指導的役割を果たした技術者・経営者。1954年東京に生まれる。1979年にアスキー出版入社、月刊アスキー副編集長を経て、1982年技術担当取締役に就任。1986年にマイクロソフト株式会社社長に就任し、DOS/V、Windows などの開発・普及に尽力した。2003 年に米国マイクロソフト副社長就任。

2006年に慶應義塾大学デジタルメディア・コンテンツ統合研究機構(DMC)、2008年同大学院メディアデザイン研究科(KMD)の教授に就任。現在、自身の経験を活かしてベンチャー志望の若者の指導にあたっている。趣味は鉄道写真・模型。

「僕が伝えたかったこと、古川享のパソコン秘史」とは?

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僕が伝えたかったこと、古川享のパソコン秘史 (NextPublishing)

 インプレス R&Dが12月11日に発刊した書籍「僕が伝えたかったこと、古川享のパソコン秘史」。

 著者の古川享氏は、アスキー取締役を経て、マイクロソフト日本法人の社長として日本のITを牽引した人物。パソコンの黎明期から現在のITになるまでの経緯を知る古川氏が、その裏舞台を語るという内容だ。

 本書は、「Episode 1 アスキー時代」と題し、1970年代後半の古川氏がアスキー入社前後のパソコン黎明期から、1986年、マイクロソフトの日本法人であるマイクロソフト株式会社の社長に就任するまでの時代を扱っている。

 アスキーが米マイクロソフトや日本メーカーと蜜月だった時代、日本の標準マシンであったNECの98シリーズが一時代を築き世界標準のDOS/Vマシンに移行する過程……などなど、パソコン進化の激動の時代を中心に、それぞれの時代の様々な現場で起こっていたこと、そこで輝いていた人たちの知られざる活躍を読める一冊だ。

 ちなみに作中には週刊アスキー編集長の宮野友彦も登場しているほか、元・月刊アスキーの編集長にして角川アスキー総合研究所の顔である遠藤諭も寄稿している。当時のアスキーのウラ話も満載だ。昔を懐かしみたい人はもちろん、当時のIT業界を学びたいという若者にもオススメできるだろう。

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