2015年08月18日07時30分

「トレンド探知機」でバズる記事を書くやり方:仮想報道

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仮想報道

電子版週刊アスキーにて好評連載中の「仮想報道」よりバックナンバーをピックアップしてお届けします。アメリカの人気サイト「バズフィード」をめぐるソーシャルメディアでの争いについてお届けした前回はこちらから。※一部内容は連載当時のままです。

Vol.857 バズフィードはネット時代のタイム誌になるか?

(週刊アスキー2015/1/20号 No.1011より)

「トレンド探知機」で記事を書いていたバズフィード

 バズフィードを月間1億5000万人の利用者を獲得するまでに成長させたネットメディアの風雲児ジョナ・ペレッティへの長いインタビューがメディウムというサイトに載っている。4回に分けて6時間以上インタビューしたそうだ。内容のない部分も多いが、バズフィードをどうやって発展させていったかを明かしたくだりはおもしろい。ネットのニュースメディア成長の力学がわかる。

 ペレッティは、ハフィントンポストの創立メンバーでもあるが、バズフィードはハフィントンポストの研究開発部門のようなものだったという。おもしろいアイデアがあるとバズフィードで実験し、うまくいきそうならばハフィントンポストで使った。

 バズフィードは、「トレンド探知機」と名づけたツールを使った。ブログのURLがどれぐらいほかのサイトに引用されるか、つまりどれぐらいリンクされているかを計測できるツールで、それによってネットで何が流行っているかがわかった。ペレッティは、20代のころウェブサイトの作り方などを教える教師の仕事をしていたが、そのときの学生であるペギー・ワングに記事を書かせた。彼女はもともとプログラマーだったが、簡潔でユーモア感覚のある文章が書け、「トレンド探知機」を使ってネットのおもしろい話を見つけて記事にした。

 トレンド探知機で上位に上がってきたら何でもいいわけではなくて、そこにはやはり一種の嗅覚も必要で、「(ブログツールの)ワードプレスが新しいプラグインを作った」などというのはだめで、新しいニュースや新しいトレンド、新製品などのニュースを取りあげた。ニュース記事の要約を書いて、参考にした記事のなかでいちばんいいものにリンクを張る。いまも多くの人がやっていて、その後「キュレーション」というもっともらしい名前までついたやり方だ。

 しかし、バイラルメディアの申し子ペレッティだけあって、このありふれた手法についてもそれなりの理屈を語っている。

 これはパーティーなどでの会話と同じだというのだ。クールなパーティーに行って誰かに会うと、「○○について知っています?」などと話をする。知らなければ相手はひとつ新しい知識を得るわけだし、知っていれば「それについては○○で」などと続きを話す。それと同じで、新しいニュースについて簡単にまず説明し、そのあと意見やコメントなどを書く。「○○が発売された」という最初の1文章に続いて「それはこれこれで」などと続きを3文ぐらいで仕上げる。ペギーは、トレンド探知機や周囲の友だちなどから話題を見つけて1日5つぐらいの記事を書いた。これが最初のバズフィードのスタイルだったという。

仮想報道
バズフィードの創立者ジョナ・ペレッティへの「メディウム」のロング・インタビュー。
上記の記事へのアクセスはこちら。

タイム誌とバズフィードの共通点

 ニュースメディアともいえないチープなメディアだったわけだが、ペレッティは、世界でもっとも有名なニュース雑誌になったタイム誌も、1923年に創刊された当初は似たようなものだったと言う

 これはペレッティの発見ではなくて、デビッド・ハルバースタムの『メディアの権力』に書かれている話だ。ペレッティもこの本を読んだという。タイム誌は、小さなオフィスにライターを集め、各新聞から切り抜きを作って、関心の高い問題について記事にした。ニュースには速いニュースと遅いニュースがあり、後者のほうが儲かるとタイム誌の創立者は考えた。バズフィードもまた、新聞を購読する代わりにウェブをサーフィンしておもしろい話を見つけ、それを読みやすく要約した。

 さらにどちらもリスト化した記事があたった。バズフィードは、「○○の12の理由」といった記事で人気が出たし、タイム誌も、「もっとも影響のある100人」といった特集が話題になった。

 2つのメディアとも大きな野心があり、オリジナルの長い記事を書くようになり、さらに海外に特派員までおくようになった。バズフィードの場合は、中華街のオフィスでウェブの要約をしていたときからシリアやウクライナで記事を書くようになるまで数年しかかからなかったと、ペレッティは別の記事で書いている。

 1928年にCBSラジオが誕生したときにも、ラジオはビッグ・ビジネスにならないと見られ、記者はイギリスのプレスクラブにも入れなかった。ちゃんとしたジャーナリストは印刷メディア以外のメディアでは仕事をしないものだと思われた。インターネットの記者はまともに扱われないということが日本でもあったが、新興メディアはつねに同じような目に遭うわけだ。

「どの新しいコミュニケーション技術も一時的な流行にすぎず、デマゴギーの道具で、ジャーナリズムの終わりだと見られた。そしていつもこういった疑いの眼が間違いであることが証明された。たいていは古いやり方を気にとめない新参者の手によって」。ペレッティは皮肉っぽくこう書いている。

インターネットを知る最良の方法は最大のサイトを作ること

 ペレッティらは、ハフィントンポストの創立者となるアリアナ・ハフィントンと会って、彼女の幅広い交遊に魅せられた。彼女の家には多様な人がやってきて、その日にあったことについて議論していた。それをネットでブログを使ってやったらどうなるかとペレッティは思った。

 アリアナはインターネットをよく知っていたのかという問いに、ペレッティは、彼女はすでにサイトを作ってはいたが、「インターネットを知るいちばんの方法は、インターネットでもっとも大きなサイトを作ることだ」と答えている。たしかに、大きなサイトを作ってどんなことが起こるかを身をもって体験する以上にネットを知るいい方法はない。アリアナも、そしてまたペレッティもこうしてネットの巧者になっていったわけだ。

 ハフィントンポストが当初やったのも他サイトの記事の要約だった。ペレッティは、ふつうの人は詳しい記事を読みたいわけではなく、検索してトップに出てきたハフィントンポストの記事を読めばそれで十分なのだと言う。重要なサイトや元記事にリンクを張っているから、もっと知りたい人はそれをたどればいい。ニュースを追いかけ新たな記事を次々と書いていくので、ハフィントンポストにアクセスすればネットを探しまわらなくても最新の情報がわかる。こういう構造を作ってハフィントンポストは伸びていった。「これがハフィントンポストのモデルで、ほかの人びとがほんとうに十分にはわかっていないことを理解していた」とペレッティは語っている。

 ハフィントンポストは創刊以来しばらく、コピペ記事とか他メディアのぼったくりといった批判を浴びてきた。しかし、アグリゲーションとかキュレーションとのちに言われるようになったことをいち早く理解していたというわけだ。

「口コミに乗りやすいものを取りあげたのではなくて、すでに話題になっているものを取りあげてそれを増幅したわけですね」というインタビュアーの問いにたいして、ペレッティはまさしくそうだと答えている。

 他サイトを要約しただけの記事とバカにされても、多くの読者の欲求にはあっていた。そうした需要を取りこんでバズフィードは成長してきた。そして、そうしたことをやったのは自分たちが初めてではない。世界に冠たるニュースメディアと見られるようになったタイム誌もそうだった。自分たちはニューメディアのそうしたやり方を踏襲したにすぎない。ペレッティがこうしたことを言うのは、自分たちがタイム誌のような主要メディアになるという強い自負があるからだ。

 今回は、立ち上げ当時のことを取りあげたが、次回は、ペレッティが現在どのようなことを考えてサイトを運営し、経営しているのかについて見てみよう。

Afterword
ペレッティは、タイム誌はいくつもの新聞から重要な記事を短く要約する一種のクリッピングサービスをやっていたと次回紹介する記事で書いているのだが、『メディアの権力』に書かれていることはじつは少し違っている。「人びとの関心の高まっている問題を取りあげ、その意味するところを説いた」とのことで、要約しただけではなかったようだ。

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●関連サイト
歌田明弘の『地球村の事件簿』

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