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マックスむらい自伝本発売記念インタビュー(後編)|マックスむらいはなぜ赤なのか

2014年12月20日 17時00分更新

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――銚子ロケは、たくさんの人が応援に駆け付けてくれたそうですね。

村井 
ロケの目的が、調子に乗ってないことをアピールすることなので、ファンばかりいてはダメなので、告知はしていませんでした。でも、口コミで多くのファンが商工会議所に集まってくれました。

――集まっているファンは中高生が多いように見えましたが。

村井 
はい。YouTubeのチャンネル登録をしてくれている方もそれくらいの年代です。

 YouTubeでは、登録ユーザーの年齢の割合がわかるので調べてみると、マックスむらいチャンネルの場合は13歳から17歳までが40%以上、18歳から24歳までが30%以上いました。13歳から24歳までで80%になるんです。システム上、13歳以下のデータを取ることはできませんが、35歳くらいで登録ユーザーの山がもう1つできています。おそらく、小学生以下のファンが親のアカウントを使って見ているんじゃないかと思うので、実際はもっと低年齢層がいると思いますね。

 YouTube全体のユーザーの年齢層は、それほど低いわけではないのですが、私やヒカキンさんのチャンネルは、ぐっと低いですね。

――自伝本は、若いファンに読んでもらいたいですか。

村井 
読んでほしいと思いますね。調子に乗っているわけではないですが、少なからず憧れられているなとは感じています。でも、当たり前ですが「マックスむらいみたいになりたい」と言ってすぐになれるわけではないですから、村井智建にどういったことが起こって、今の“マックスむらい”があるのかというのは、学んでくれたらうれしいです。きっと彼らの学校生活や進路を考えるうえで、参考になるのではと思います。

――自伝本で語られていた、就職活動で履歴書をノートに書いて提出したエピソードが印象的でした。

村井 
履歴書を見たこともなかったですからね。ただ言えるのは、AppBankに履歴書なしで「入りたいです」って来ても、100%「帰れ!」って言いますよ(笑)。

――自伝本のとおりに振る舞うのはいいとは言えない?

村井 
時代だと思いますけどね。私は、2000年代の初めでITバブルの2回目が来ているときにITベンチャー企業に就職しました。当時は、インターネットに対して誰も何もわかっていないような感じで、渋谷がビットバレーと呼ばれ、個人情報保護法があるわけでもなく、法律も整備されていないような時代でした。その暗中模索の中で、私と波長が合ったのか、それとも私の勢いを受け入れてくれたのかわかりませんが入社できました。私が18歳のときです。

 新しい産業が生まれるという状況下で、何千何万というしかばねの上に成功者がたったひと握りといった戦国時代のような時代が来れば、私がしたようなことをやってもいいんじゃないでしょうか。
 

マックスむらいはなぜ赤色なのか

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――YouTubeやニコ生で活動されている方々は大勢いますが、その中でなぜ人気になったと思いますか。

村井 
一生懸命だったんじゃないでしょうか。全力で何かに取り組む姿が美しかったって、ドワンゴさんが言っていました。

「村井さんは真剣ですよね」とよく言われます。真剣すぎて、本当はダメなんですけど、ニコニコ生放送のスケジュールを無視して延長することがあしき習慣となっていて……。

――延長はわざとですよね。

村井 
違いますよ! でも、ジェンガ勝負とか5分で終わると思って始めて、40分くらいやっていたことありますけどね(笑)。北野Pに「あきれを通り越して感動してしまいました」と言われてしまって。そういうのがウケているんでしょうかね。

――動画をアップロードしてからファンが急激に増えて驚きませんでしたか。

村井 
それはびっくりしますよ! もともと、一定の認知度はあったと思っていましたが、YouTubeやニコニコ生放送に出るようになってから、文字どおり桁が変わりましたからね。動画をやる前のイベントは、14、15坪くらいの20人くらい入ればいっぱいになるようなところでやっていて、そこに1000人も集まってしまうことが起こりはじめました。

――それだけ多くのファンに見せるべき“マックスむらい”の理想像はあるのでしょうか。

村井 
マックスむらいといえば赤のイメージがあると思います。もともと、私が赤が好きなので身に着けていたのですが、昨年の今ごろは、まだカラフルなものを着ていたりもしました。

――黒も着ていましたね。

村井
〝マックスむらい=赤〟となったのは実は1年も経っていないんです。赤色を着ようと覚悟を決めたのは、今年の1月くらいに、ももいろクローバーZが大好きなAppBankのたかはしくんに、『ももいろクリスマス2011~さいたまスーパーアリーナ大会~』というライブDVDを勧められたことがきっかけです。

 さいたまスーパーアリーナの舞台を見て泣きだす女の子がいる。ももクロが泣いているんですよ、緊張して。リハーサルの時間もあまり取れず、泣きながらステージに上がっていくんです。ライブが始まって、ひとりずつ紹介されるのですが、そこでも不安そうな顔しているんです。でも、リーダーであるカナコ(百田夏菜子)が締めるんですよ。カッコいいなと思いました。彼女が突出して秀でた部分があって、絶対的なリーダーをやっているわけではないと思うのですが、カナコじゃないとリーダーはやれないと思います。

 このDVDを見たときに、赤色を着てみんなの前でマックスむらいをやるっていうのは、こういうことだよなって自覚して、モヤっとですがマックスむらい像ができ上がりました。

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↑過去には赤以外に、黄色や黒のウェアを身につけていたこともある。

スーパー努力家、CEO村井智建

――村井さんの周りの方々からよく「いつ寝ているのかわからない」と聞くのですが。

村井 きちんと寝ていますよ。終電かその前くらいの電車に乗って、帰宅が0時半から1時くらい。その後、30分から1時間ほど仕事をして、風呂入って寝るのが2時半くらいですかね。起床は、7時くらいです。

――朝はジムにも通っているらしいですね。

村井 今日も行きましたよ。3キロくらい走って、腹筋を100回ほどやって、自転車で15キロくらいこぎますね。

――YouTubeの収録やニコニコ生放送など忙しいと思いますが、CEOとしての仕事はこなせているのでしょうか。

村井 少しずつやっていますよ。お礼状にサインしたりとか。取締役会などの堅い会議以外は決まった時間はないですが、席にいる時間にみんなが私を捕まえにきますね(笑)。

――そんなに忙しいのに日々のネタってどこで仕入れているのでしょうか。

村井 え……っと、2ちゃんねるまとめです。流行のキュレーションメディアは、おしゃれっぽくてダメなんです。

(了)

マックスむらい、村井智建を語る。

就職活動の際、ノートのページを切り取って履歴書を提出したエピソードなど、常識破りで波瀾万丈な、マックスむらいこと村井智建氏の人生。いかにしてAppBankを設立するまでに至ったのか?──ぜひ手に取ってご一読を!

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#むらい伝

■関連サイト
・『マックスむらい、村井智建を語る。』公式サイト
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