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実はいちばん儲けた!? MSX陰の立役者はあのメーカーだった!:MSX30周年

2013年06月25日 10時30分更新

MSX30周年スロット&スプライトロゴ

 MSXのハードメーカーと聞いて、皆さんは何を思い出しますか? 代表的といえる松下電器(現パナソニック)やソニー、三洋電機のほかにも、とにかく安価なカシオ、音楽に特化したヤマハといった個性的なメーカーを思い出した人もいるかもしれません。
 そのような表舞台の陰からMSXの全盛期を作り出し、実は最後の規格であるturboRまでMSXを支え続けていたハードメーカー、東芝を今回はフィーチャーしたいと思います。

■東芝とMSXの深いい関係

 MSX登場前の東芝は『パソピア』と呼ばれる独自のパソコンをリリースしており、MSXとしては『パソピアIQ』のプランドで、1983年11月に『HX-10S』、『HX-10D』を発売しました。東芝のMSXというと初期の頃からワープロに力を入れていましたね。MSXでラブレターを書く人気アイドルのCMが有名でした。

MSX30周年記念_第3回
↑『HX-10D』愛称は『PASOPIA IQ』(パソピアIQ)。MSX初のRAM64KB機。まだMSX-BASICが32KBまでしかサポートしておらず、「この大容量をいかに活かすかが課題」と記事中で言われていた。やっさん親子のCMがなつかしい〜。6万5800円。(写真はMSXマガジン84年2月号より)

 当時のMSXはコスト面で問題を抱えていました。パソコンとしては充分安価な部類であったMSXですが、やはり家庭用テレビゲーム機たちと比較されてしまいます。特にカスタムチップを採用し徹底的なコストダウンをはかったファミコンに対し、さまざまなLSIメーカーから部品を調達して組み上げるMSXは非常に厳しい戦いを強いられることとなりました。

 カシオが1984年に発売した『PV-7』は大幅な設計の見直しによるコストダウンで2万9800円を実現しましたが、その代償は大きく、RAMが8KB(※)しかないなど、MSXをゲーム以外の用途に使ってもらうには難のある仕様となっていました。
※RAMが16KB以上が必要だったゲームも多かったので涙を流した人もいたのでは?結局オプションで発売されていた拡張RAMカートリッジを購入することに……。

MSX30周年記念_第3回
↑『PV-7』言わずと知れたカシオの革命機。ツイッターとかの反応を見てもPV-7ユーザーの多さが目立ちますね。週アス本誌の連載でも書いたけど“消しゴムキーボード”じゃないからね(ゴムじゃなくてプラスティック)。2万9800円。(写真はMSXマガジン84年12月号より)

 MSXをビジネスユースにも活用できて、なおかつ安くするには部品点数を減らすことが必須でした。そこで、MSXの機能をひとつにまとめたカスタムチップの開発に東芝が対応することになります。当時の東芝は、CPUやパラレルI/O、タイマーなどさまざまなLSIをお手軽にまとめて1チップ化する技術“スーパーインテグレーション”を持っていたため、そこに白羽の矢が立ったのです。

■元祖1チップ? MSXの心臓“MSX-ENGINE”

 MSX(1)の規格を構成するのに必要なLSIには以下のようなものがあります。

チップの種類 型番 メーカー
CPU Z80A ザイログ
VDP TMS9918A テキサス・インスツルメンツ
PPI i8255 インテル
音源(PSG) AY-3-8910 ゼネラル・インスツルメンツ

 

 東芝は、これらのLSIの機能をひとつのLSIにまとめることに成功しました。このLSIを“MSX-ENGINE”といいます。このLSIはいわば元祖1チップMSXと言うべきもので、これによりMSX-ENGINEとメモリがあればMSXを作れるようになったのです。

 MSX-ENGINEを採用することで、部品調達コストを減らすことができたほか、配線が減るために設計コストや基板のコストも減らすことができ、結果的に大幅なコストダウンを見込むことができました。東芝製のMSXを例にとると、MSX-ENGINEによって基板の面積をなんと5分の1以下にすることができたとのことです。

 しかし、そのこととは裏腹に、東芝はMSX2の初期から中期にかけて本体製造を数機種手がけた後に、本体製造からは撤退していきました。どのような経営判断がされたのかはわかりませんが、MSX本体を売るよりも、MSX-ENGINEを売っていたほうが儲かると判断したのではないかと想像されます。

 MSXの総出荷台数は全世界で500万台弱と言われていますが、実はMSX-ENGINEの総出荷数はこれをはるかに超えていると言われています。MSXのようなシンプルな構成のコンピュータであれば、低コストで製品を作ることができますので、MSXパソコン以外にもさまざまな分野で使用されていたと考えられます。例えば、ビデオ関連機器、パチンコ基板、東芝のワープロ『Rupo』にも一時採用されていたという噂も…。

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↑『HX-21』PASOPIA IQのMSX1シリーズとしてはわりと後期。日本語ワープロソフトを内蔵してるが漢字ROMはオプション。まだきっと高かったんだね。独自の拡張BASICを搭載し、なんとPSGがステレオ出力だった。7万9800円。(写真はMSXマガジン85年9月号より)


■MSXを、そしてゲーム業界を支え続ける東芝

 MSX本体製造から撤退した東芝は、自社のMSX向けではなく、他メーカーのためにMSX-ENGINEの開発を進めていくこととなります。そして誕生した次世代チップ“MSX-ENGINE2”はMSX2以降の規格すべて(MSX2・MSX2+・MSXturboR)に採用されました。東芝は、もともとライバルである松下電器、ソニー、三洋電機といった家電メーカーと共同でMSX-ENGINE2を開発していたのです。

 東芝はMSX本体の生産からは早々に撤退しましたが、「MSXハードの生産」という意味では、実はいちばん最後まで生産を続けていた、縁の下の力持ち的なハードメーカーだったと言えるでしょう。そんな経緯から、後に西和彦氏は「MSXでいちばん儲けたのは東芝だ」と言ったとか言わなかったとか…。

 MSXの生産が終わっても、東芝はその技術を活かしてチップの開発を続けていきます。1チップ化に貢献した“スーパーインテグレーション”の技術を応用し、Z80ファミリを1チップ化したLSIはZ80リファレンスキットとして、ハード・ソフト開発のための教材などに使用されたりしました。さらにZ80と他のCPUとの混合LSIを開発してゲームメーカーに出荷したりもしていました。また、独自開発のチップでは、Z80に仕様が近い『TLCS-90』シリーズに始まり、PS2に採用された『EE+GS(※)』、そしてPS3に採用され『CELL』などの開発を手がけています。
※Emotion Engine + Graphics Synthesizer

 そうです!MSXで培われた東芝の半導体技術は後にゲーム業界を支えていたのです。もしMSXがなかったら、PS2やPS3もなかった、といっても過言ではないのかもしれません。そうなると、「すべての道はMSXにつながる」という言い方をするなら、その道を舗装したのは東芝ということになるのかな?

 ということで今宵のお楽しみはここまでといたしましょう。また来週!

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↑『HX-23F』東芝初のMSX2マシン。「HX-23FではVRAMが8倍になり写真とまるっきり見分けがつかない程の表現力だ」と記事中にあるが、とてもそうは見えない。でも“SCREEN8”の画面表現力はそれくらい衝撃的だった。10万8000円。(写真はMSXマガジン85年8月号より)

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ここからはおたよりコーナーです。
Twitterで寄せられたおたよりをご紹介します。

‏@apricot_iさん
MSXが自分の人生を変えたといっても過言ではない。初PCはナショナルのCF -3000というマシンでした。

----Twitterの反応を読むと、本当にそういう人は多いみたいですね。いや初PC がCF-3000って人じゃなくて。記事を読んでくださっている人の中に、IT業界にいる人やプログラマーになった人が多いのでしょうか。

@Raiha1976さん
MSXといえば、コナミの本気を忘れるわけにはいかんでしょう。グラディウス「2」とか忘れるわけにはいかん

----コナミはガチでしたね。けっきょく南極…、ハイパーオリンげふんげふん、などから始まり、魔城伝説、グラディウス1、2、メタルギア、スナッチャーなど良ゲームがめじろ押しでした。今やプレステのビッグタイトルとなったメタルギアのシリーズもMSXが原点なんですよね!

‏@c4objunさん
ぼくが持ってたのはカシオのやつ。全メーカー中最廉価でキーボードがゴム製だったな。

----今回の記事に登場する『PV-7』ではなくて、週刊アスキー本誌連載で紹介した『MX-101』でしょうか。あるいは『MX-10』? 『PV-7』だと動くゲームが限られていて泣きを見た子も多かったようですが、MXシリーズならRAM16KBだし大丈夫。実はPSG音源も他社のMSXより高音質だとカシオの中の人が胸を張っていましたよ。安いだけじゃない!

 それでは今回はこのあたりで。
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