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引越し記念! よりぬき東京カレー日記(9)

パスカルとおっぱいの実験

2012年04月28日 21時00分更新

引越し記念! よりぬき東京カレー日記(9) パスカルとおっぱいの実験

 ディスカバリーチャンネルの人気番組「怪しい伝説」(MythBusters)の“ひめくりカレンダー”を使っているのだが、インプラントが飛行機の中で破裂するいう話が出てきた。国内線の飛行機で客室の気圧が低くなりブラジャーの間に入れたプニュプニュ物体が破裂したという伝説の検証。たしかに、隣に座った女性の胸が離陸前にはちょっと大きめの胸なのだが、飛行機が高度を上げていくにしたがって巨大化する。機内食のトレイを押しつけるくらい立派になっていて横目で見るオヤジの目玉もグリグリになっている……なんて絵が容易に想像できるでしょう。

 ところが、実は、このテーマというのは“大変に歴史的な実験”でありまして、それ以来、延々と世界中の人たちに議論されてきたお話なのをご存じだろうか? 試しに、社内でこの話をしてみたらすぐさま反応がありました。

 まずは、Oくんの話。米国出張で、やはり国内線に乗っていたら口を開けたペットボトルから中身の水が吹き出してカバンの中がビショビショになっていた。明らかに気圧の変化でパンパンになっていて空気が膨張したというのが原因。面倒くさいのでそのまま頭の上のラゲッジスペースに突っ込んでおいたら、ビショビショになっていたのが凍っていたという話。上空は気圧も低い上に寒いのだ。

 次に、Nくんの話。彼は、学生時代はワンゲル系とか登山とか秘境を旅する男だったらしい。それで、ネパールだかナンガバルバットだか忘れたけど、高い山のある地方に行くことになったときに、先輩に「歯の治療はしてないよね?」と言われたらしい。いわゆる被せものとかブリッジとか「気圧の変化で取れてしまう」と言われたそうだ。本人は、歯の治療をしていないので未確認とのこと。

 これに関しては、ほかにも細かな証言がある。いちばん典型的なのはポップコーンの袋が山の頂上ではパンパンになっていたいうもの。私は、昔はよく行われていた開催式でハトと一緒に飛ばされるカラフルな風船のことを思い出した。それが、上空まで飛んでいくと気圧の変化で破裂してやがて海に落ちてしまうというお話。小学校のときに聞いて寂しいと思ったが、本当は空気が抜けて落ちてくるのだという説もある。

 ざっとこんな具合で身近な話も多いのだが、“大変に歴史的な実験”と書いたのは、幾何学の「パスカルの定理」や物理学の「パスカルの原理」で有名な17世紀の科学者ブレーズ・パスカルがやった実験である。

 ミネラルウォーターの「ボルヴィック」(Volvic)のボトルに山の絵が描かれていることをご存じだと思う。まあ、私も含めて「この山の水なのね」くらいに心にとめる人も少なくないだろう。もっとも、この山、フランスはオーヴェルニュ地方にある「ピュイ・ドゥ・ドーム」(ピュイは山だから、ドーム型の山という意味になるらしい)は、そのスジではかなり有名。

 ためしに、日本の公式サイト(http://www.volvic.co.jp/)を訪ねてみると、ボルヴィック村(村の名前なのですね)の自然環境が美しい自然とともに紹介されている。1927年に、ボルヴィック村の村長さんが、その水源を発見したのだとか。また、「街からも見えるピュイ・ド・ドームは、360度が楽しめる観光地として人気です」などと書かれている。さらに、この美しいオーヴェルニュの山々の写真を素材にした壁紙やスクリーンセイバーまで提供されている。

 さて、そんな美しいボルヴィックの山で、17世紀にパスカルが歴史的な実験をやったのである。パスカルといえば、エッセーの『パンセ』なども有名。私の世代だと「人間は考える葦である--パスカル」という何かのテレビコマーシャルで、小学校の時から馴染んでました。このパスカルは、オーベルニュ地方の生まれだったのだ。

 パスカルの実験は、この山の麓で風船に空気を半分入れて山を登り、頂上に立ったときには風船はパンパンに膨れたと書いているものである。なんとなく、大学者のパスカルが風船を手に山を登っていった図が、私は、いい感じだと思う。そして、ボルヴィックの公式サイトにあるような美しい自然の風景が目に飛び込んでくる。標高1400メートルという山だからさすがに、それなりに大変だとは思うのでありますが。

 ところが、この風船の実験は“行われなかった”のではないかという説があるというのだ。『パスカルの隠し絵』(小柳公代著、中公新書)によると、著者やフランスのパスカル研究の権威が、それぞれ、ピュイ・ド・ドームまで出かけて、麓で風船に半分空気を入れて山を登った。ところが、この追実験はいずれもうまくいかず風船はちっとも膨らまなかったというのだ。

 Oくんの飛行機の中でペットボトルから水吹き出し事件やら、N編集長の山の教訓の話、それから、複数の人たちが経験しているポップコーンの袋の証言からすると、これって、その追実験のほうがどうなのかな? という気分にもなってくる。

 実は、17世紀という時代は、厳密な実験の結果から理論を導き出すという態度そのものが新しかった。実験によって証明していくという科学的態度というものが、パスカルによって切り開かれた部分であるのだそうだ。にもかかわらず、パスカルの風船は膨らんだのか? 実験は、行われなかったのか?

 パスカルの実験には、「自然は真空を嫌悪する」というアリストテレスの力学をひっくり返すという強烈なインパクトが含まれていたそうだ。なんと、前述の本ではパスカルの歴史的な真空の実験(8つある)すべてが、行われなかったと結論づけているのだった。そこには、ちょっと一筋縄ではいかない思惑が……。詳しくは、同書。MythBustersの実験でも、ブラジャーの間に挟まれたインプラントが気圧の下がった飛行機の中で膨らむことはないと結論づけていたのでありますが。

【筆者近況】
遠藤諭(えんどう さとし)
アスキー総合研究所所長。同研究所の「メディア&コンテンツサーベイ」の2012年版の販売を開始。その調査結果をもとに書いた「戦後最大のメディアの椅子取りゲームが始まっている」が業界で話題になっている。2012年4月よりTOKYO MXの「チェックタイム」(朝7:00~8:00)で「東京ITニュース」のコメンテータをつとめている。
■関連サイト
・Twitter:@hortense667
・Facebook:遠藤諭

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