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CPU誕生のきっかけはこの国産電卓だ!

2012年03月30日 18時01分更新

 いま世界中で使われているPCやスマートフォン、最近のテレビの中にもマイクロプロセッサ(CPU)という部品が入っているのをご存じだと思う。最初のマイクロプロセッサは1971年にインテルが発売した『4004』だが、その誕生のきっかけは国産の電卓だった。社団法人情報処理学会が2011年度の“情報処理技術遺産”として、その『Busicom 141-PF』を認定した。先月発売された『電卓のデザイン』とともに紹介する。

 3月下旬、私のもとに『電卓のデザイン』(大崎眞一郎著、太田出版刊)という1冊の本が届いた。私の知る限り日本一の電卓コレクターで、『電卓博物館』を運営されている大崎眞一郎氏によるビジュアル本である。国産電卓を中心に、海外の有名機種も含めて、技術的なこともさることながらデザインや時代背景にこだわって紹介されている。この本の刊行に、私もほんのちょっとだけ関係していたので送っていただいたのだった。

 なにしろ素晴らしいコレクションが裏付けなので、工業製品のデザインや企画にかかわる人には貴重な資料になるはずである。どの写真も「やっぱりこうおさえますよね」というふうに撮影されているのだが、いくつかの電卓は、こうして綺麗な写真が掲載されるだけでも価値がある。

情報処理技術遺産にマイクロプロセッサ誕生のきっかけになった国産電卓『Busicom 141-PF』が認定

↑シャープ『コンペット CS-10A』。世界初のオールトランジスタ・ダイオードによる電子式卓上計算機として1964年に発売された。価格は、53万5000円と当時の一般乗用車ほどの高額な商品だった。

情報処理技術遺産にマイクロプロセッサ誕生のきっかけになった国産電卓『Busicom 141-PF』が認定

↑ソニー『SOBAX ICC-500』。シャープのCS-10Aと同日に発表されたオールトランジスタ電子式卓上計算機『MD-5号機』。同社の電卓は最初からテンキーを採用、改良を重ねICC-500として3年後に発売となった。

情報処理技術遺産にマイクロプロセッサ誕生のきっかけになった国産電卓『Busicom 141-PF』が認定

↑カシオミニ。1972年8月に1万2800円で発売され「答一発、カシオミニ」のキャッチフレーズで爆発的な売れ行きをみせた電卓。チップによる軽薄短小とムーアの法則による価格破壊を体現した製品だった。

情報処理技術遺産にマイクロプロセッサ誕生のきっかけになった国産電卓『Busicom 141-PF』が認定

↑シャープ『ソロカル EL-8148』。1970年代には電卓は一般家庭にも浸透していったが、ソロバンのほうが馴染むという人もいた。1978年に発売されたラジカセを生んだシャープならでは複合商品。

 電卓の草分けであるシャープの『コンペット CS-10S』をはじめとする国産電卓、私もあるデザイナーからもらい受けて所有しているオリベッティの傑作『Divisumma 18』、HPの最初のプログラム電卓である『HP 35』など、200台以上を収録。

 しかし、この本でとくに貴重なのは、冒頭にも触れた世界最初のマイクロプロセッサ『4004』が誕生するきっかけとなった日本の電卓メーカーであるビジコンの『141-PF』である。私は、米国のインテル本社に展示されているのを見たことはあり、また国立科学博物館に収蔵・展示されているが、この本に収録されているような完全な形で、しかも美しい状態のものは、きわめて貴重といえる。

情報処理技術遺産にマイクロプロセッサ誕生のきっかけになった国産電卓『Busicom 141-PF』が認定

↑ビジコン『141-PF』。世界最初のマイクロプロセッサが誕生するきっかけとなった電卓。

情報処理技術遺産にマイクロプロセッサ誕生のきっかけになった国産電卓『Busicom 141-PF』が認定

↑ビジコン『141-PF』の基板。写真上部中央の白く見えるチップが『4004』だ。

 世界最初のマイクロプロセッサが誕生した経緯については、日本のコンピュータのパイオニアたちにインタビューした『計算機屋かく戦えり』(遠藤諭著、アスキー刊)と『日本人がコンピュータを作った』(アスキー・メディアワークス刊)で詳しく書いた。

 1970年頃、電卓メーカーは1台ごとに必要に応じてチップを設計し直さなければならなかった。そこで、ビジコンは、当時の汎用コンピュータのようにプログラムを別途ROMに持っておけば、あとでいくらでも応用可能なチップはできないものかと考える。同社は、そのチップをインテルに依頼するが、その開発のために日本から送りこまれたのが嶋正利氏だった。こうして、1971年に誕生してインテルがその販売権などを買い戻し発売したのが『4004』だったのだ。これは、今日に続くマイクロプロセッサの歴史の流れという意味において最初の製品である。ビット長は4ビットで、いわゆる4ビットCPUである。

情報処理技術遺産にマイクロプロセッサ誕生のきっかけになった国産電卓『Busicom 141-PF』が認定

↑『電卓のデザイン』(大崎眞一郎著、太田出版刊)定価1680円  ISBN: 978-4778312947

 そんなふうに『電卓のデザイン』という本を楽しく読んでいるところに飛び込んできたのが、『141-PF』が、情報処理技術遺産に認定されたというニュースだった。“情報処理技術遺産”は、社団法人情報処理学会が、次世代に継承すべき重要な意義を持つ技術や製品の保存と活用を図るために、“分散コンピュータ博物館”とともに認定するもので、今年で4回目となる。過去には、シャープのコンペット『CS-10A』が認定されているほか、今回、世界最初のラップトップPCとして東芝の『T1100』(1985年)が認定されている。

 2012年3月6日、名古屋工業大学御器所キャンパスで開催された情報処理学会の全国大会において“情報処理技術遺産”の認定式が行なわれた。私も、前日の大阪出張から駆けつけたのだが、『電卓のデザイン』の著者である大崎眞一郎氏が『141-PF』の現物を持ち込んで、オーナーとして認定証を受け取り、会場で展示も行なわれていた。

 今回も、多数の歴史的に意義のあるコンピュータが“遺産”として認定され、記念講演も興味深い内容で盛り上がった(詳しくは情報処理学会のページを参照)。しかし、なんといってもいま世界中のPCからスマートフォンからサーバーまでを動かしているマイクロプロセッサの生まれたきっかけになった『141-PF』は、ひときわ参加者の注目を集めていた。

情報処理技術遺産にマイクロプロセッサ誕生のきっかけになった国産電卓『Busicom 141-PF』が認定

↑情報処理技術遺産認定式会場に展示されたビジコン『141-PF』と記念撮影をさせてもらった。

情報処理技術遺産にマイクロプロセッサ誕生のきっかけになった国産電卓『Busicom 141-PF』が認定

↑141-PFの背面。1971年の製品としては全体にスッキリと洗練されたデザインだ。

情報処理技術遺産にマイクロプロセッサ誕生のきっかけになった国産電卓『Busicom 141-PF』が認定

↑141-PFのプリンタ部分。当時の大型コンピュータ用のラインプリンタ(ドラム式)と同じ印刷方式。

 というわけで、今年は、日本の電卓にとって素晴らしいトピックが2つもあったわけなのだが、歴史的な電卓が、どれくらい「とびきりポップでキュート」(『電卓のデザイン』より)な顔をしていたかは、ぜひとも本を手にとって堪能していただきたい。

写真:樽井利和(情報処理学会での写真を除く)

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