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過去の象徴・未来へ憧憬! デロリアンで東京を走った!

俺たちの憧れ「デロリアン」で走り回る
児玉裕一監督にこだわりを聞いた

 いつもはハイパフォーマンスカーをお借りして、編集部つばさとともにレビューしている本連載だが、今回は趣向を変えてこだわりのクルマを所有しているオーナーさんを取材させてもらった。

バック・トゥ・ザ・フューチャーのテーマとともに登場した、映像ディレクター・児玉裕一氏

 記念すべきオーナー取材第一弾は、映像ディレクターの児玉裕一監督。児玉監督が2008年にユニクロのウェブ広告「UNIQLOCK」で世界三大広告賞を総なめにしたは有名な話。また、リオ五輪閉会式の次期開催地を紹介する映像(マリオやドラえもんなどが出て話題になった)でも、チーフディレクターを務めている。ほかにも椎名林檎や安室奈美恵、Perfumeなどのミュージックビデオや大手企業のCMなど多数手がけるディレクターであり、間違いなく日本でもトップクラスのクリエイターだ。あまりにも作品数が膨大なので、ここでは端折るが、興味のある人はネットで調べてみてほしい。あんなMVやこんなCMも児玉監督作なので。

 そんな児玉監督がお気に入りなのが、愛車「デロリアン」。80年代を過ごした人には説明不要と言えるくらい超有名なクルマである。簡単に説明すると、80年代に大ヒットした映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」シリーズのタイムマシンとして採用されて一躍有名になったデロリアン・モーター・カンパニー(DMC)の「DMC-12」というクルマを指す。車体デザインは有名カーデザイナーのジョルジェット・ジウジアーロ、車体そのものはロータス・カーズが担当した。最近ではスティーヴン・スピルバーグの「レディ・プレイヤー1」という作品にも登場し、オジサンたちを熱くさせた。

バック・トゥ・ザ・フューチャーっぽい写真を撮ろうと銀杏並木でロケをしたものの、あんまりソレっぽくならず残念

撮影中は道行く人が立ち止まって撮影していたデロリアン

 デロリアンが登場したのは1981年。翌1982年にDMCは倒産してしまう。バック・トゥ・ザ・フューチャーの1作目公開が1985年なので、映画公開時点ですでに絶版車になっていたが、映画のおかげで人気が再燃したのは皮肉な話だ。

 児玉監督が自分の愛車にデロリアンを選んだのは当然バック・トゥ・ザ・フューチャーが好きだから。以前から「いつかはデロリアン」と思っていたが、あるときディアゴスティーニのデロリアン発売のアナウンスがされたときに、全部集めると20万円を超えることに気づき、だったらこのお金を頭金にして本物を買ったほうがいいんじゃないかと、ネットで中古車の検索を始めたという。調べてみると群馬に1台あり、実際に見に行って即決したとのこと。

これぞ「ガルウィングドア」だ

デロリアンのエンブレムはわざわざシルバーにしたという

横から見てもスタイリングは超独特。RRレイアウトに見えない

案の定、後方の視認性が悪いそうだ

 また、オフィス近くの店頭で展示されていたランボルギーニ・アヴェンタドールの価格を見たらデロリアンがお値打ちに感じたということも購入の後押しになったとか(アヴェンタドールは4000万円オーバー)。

 とはいえ、デロリアンは37年前のクルマ。最初はかなりボロボロだった。命を預けて乗るものなので、直せるところは直し、替えられるモノは替えようと、納車の際に大手術を行なう。まずエンジンはオーバーホール、ハンドルをパワステ化、キーレスロック装備、サイドミラーに広角フィルムを貼る、近接センサー搭載、バックモニター搭載、「km/h」表示のメーターを追加(標準はマイル表示)、K.I.T.Tのボイス搭載などなど。一度走行中にコンプレッサーがロックしてエンジンルームから黒い煙を吹き、文字通り炎上しかけたようだが、それ以外は調子良く走っているようだ。「デロリアンで事故ったら絶対SNSで拡散されちゃうじゃないですか」と児玉監督。たしかに、【悲報】デロリアン、未来にいけなかった模様、みたいにネタにされてしまいそうだ。

 ちなみに、デロリアンにナイト2000の人工知能「K.I.T.T」を搭載するのは、レディ・プレイヤー1でも主人公が行なっていた。

窓はこれしか開かないので、駐車場のチケットを獲るのも一苦労

標準のサイドミラーは視野角が狭すぎるので、広角になるミラーステッカーを貼っている

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