2017年08月12日17時00分

始めと終わりで“運命”は変わる―― ナガオカ「R1」レビュー

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ユリア・フィッシャーとアンネ=ゾフィー・ムター
同じチャイコフスキーでもこんなに表情が違う!

 チャイコフスキー「ヴァイオリン協奏曲」は、ジュネーブの湖畔でチャイコフスキーが療養している期間に書かれた曲で、今では流麗なメロディーで名高いが、完成当初は酷評された。第1楽章は民族調の華やかな旋律とは裏腹の焦燥感や必死さ、憂鬱感といったものが作品世界の奥行きをグッと深める。難曲としても有名なこの曲をユリア・フィッシャー/クライツベルク/ロシア・ナショナル管と、アンネ=ゾフィー・ムター/アンドレ・プレヴィン/ウィーン・フィルハーモニーで聴き分けてみたい。
 まずユリア・フィッシャー盤だが、曲の入りはソロリという感じで、まるで様子見をしているようだ。連符でもお行儀よく性格なテンポを刻んでいて、連符のグリッサンドがサラリと流れる。良く言えば流麗、悪く言えばアッサリしていて味気ない。その後も度々出てくる三連符は、どことなく必至にテンポを守ろうとしているようで、お陰でオケは無理なく楽そうに演奏している。
 カデンツァでも、どことなくおっかなびっくりな印象が拭えず、腫れ物を触るように「そろ~りそろ~り」と弾いている。ハイトーンでフォルテになると一瞬殻を破ろうと頑張るが、そこから音が降りてゆくとと、テンションも一緒に落ち着く。その響きはとても実直でスッキリとしており、その分だけハイトーンの真っ直ぐさが良い意味で突き刺さる。

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ユリア・フィッシャー/クライツベルク/ロシア・ナショナル管のチャイコフスキー「ヴァイオリン協奏曲」。音は高精細で、かなり生々しい。ユリア・フィッシャーの演奏は丁寧で正確な、お行儀のよいあっさり味

 ではアンネ=ゾフィー・ムター盤はというと、ウィーンフィルのテンポ自体がゆっくり目、ヴァイオリンソロは入りからビブラートを朗々と響かせる。ムターのヴァイオリンはこの強烈なビブラートと、音階の切れ目が無いタイ(高さの違う音を滑らかに奏でること)が特徴で、この演奏でもかなり滑らかに音がつながっている。
 冒頭の主題の後に来る急激なテンポアップを経ても、全体的に色気たっぷりの滑らかな演奏だ。特に倍音の豊かな低音がかなり太く、ゆったりと奏でるところではビブラートをしっかり利かせ、タイの滑らかさと相まって妖艶さが増す。そこへ楽器自体の響きの深さも加わり、「ヴァイオリンの女王」と呼ばれる所以の音になる。しかしその中でカツッと音を切るところがあり、これでメリハリを効かせている。こういった部分にムターの技と美意識を感じる。
 続く演奏はテンポも音もかなり揺れ、アーティキュレーションも結構ハッキリと奏で分けている。普段がテヌート(「ダー」と幅いっぱいまで伸ばす音)気味な分だけ、意図的なスタッカート(「カッ」と短く刻む音)による雰囲気の転換効果が高い。
 この演奏最大の聴きどころは、中間部のドルチェ(「かわいらしく」の意味)だ。スタッカートによる短めの音と揺れるテンポでおてんば娘のようなドルチェを存分に演出したかと思うと、その後急激な連符で楽曲の雰囲気をガラリと変え、それに続いて転がり落ちるようにオケが転調する。
 それに続くカデンツァは身悶えするような響きのハイトーンから一転して緊張感漂うピアニッシモになる。高音を朗々と歌ってから転落してゆく様の焦燥感が実に見事だ。全体的に強烈な倍音が乗っていて、ココロを揺さぶられる思いがする。僕が思うに、ムターの音の深さが最も聴き取りやすい部分だ。

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一方「ヴァイオリンの女王」ことアンネ=ゾフィー・ムターのチャイコフスキーは、かなりの濃口なもの。極太の音や強烈なビブラートなど、音と音楽の世界にグイグイと引き込む演奏だ。楽譜の再現ではなく、音符の流れに刻まれた想いを徹底的に引き出そうとするように聴こえる

 2つの演奏を総括すると、ユリア・フィッシャー盤は「音が良い」。一方のアンネ=ゾフィー・ムター盤は「音が良い、演奏は素晴らしい」。一度聴いて「キレイだなぁ」と感じるのがユリアの演奏だとすると、ムターは聴けば聴くほど奥深さを感じる。
 ユリア・フィッシャーは全体的に品の良いお“嬢さんの演奏”で、安心してゆったりと聴いていられる。悪く言えば教科書的で若い。少なくともユリアの演奏に「焦燥感」「必死さ」といった影の部分は感じられない。コレに対してアンネ=ゾフィー・ムターは脳裏にこびりついて離れず、何度も音楽の世界に溺れたくなる演奏だ。特にハイトーンは身悶えして昇天する響きで、これには“彼女の”“上質な”高音以外ではほとんど聴かれない“ミューズの微笑み”が宿る。
 それにしても、これほど自由奔放なムターにバッチリ合わせるウィーンフィルも流石だ。メトロノーム的な意味では正確さに欠けるが、人間の感情にフィットするという意味では驚異的に合っている。これがベルリン・フィルと違うところで、タテが合っているとかズレているとか、そういう技巧的な範疇を越えた部分に、作品世界のまとまりや不思議な説得力といったものが、ウィーンフィルにはある。

R1は演奏を自在に描き分ける高い実力の持ち主

 重要なのは、「溺れたくなる演奏」をキチンと再生できているということだ。演奏が良くても再生でスポイルされてはダメだし、再生が良くても演奏がダメならば意味がない。イヤフォンが受け持つのは再生の方で、R1の場合は、例えば高音から低音まで音色がブレずにしっかりと出ているとか、軽やかで反応がよく、ハイスピードの音が出るとか、音源やプレーヤーが要求したパワーをキチンと音にするとかいったものだ。
 今回のレビューで言うと、Waltz for Debbyと“運命”の低音は明らかに質が違う。前者は音楽を進める「ポンポン」と軽やかなもので、後者は「ガガガガーン」の芯を通す荒々しいもの。この描き分けを様々な楽曲の音域でやってのけるのがR1のスゴさだ。音楽の演奏そのものに物語を見出す、そんな聴き方をしたいなら、是非ともこのイヤフォンを試してみてほしい。あるいは演奏の練習としてデモ音源を聴く時、このイヤフォンを使えば思わぬ発見が得られるかもしれない。

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