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MSX1から1チップMSXまで、歴史を一気におさらいするぞ!:MSX30周年

2013年06月18日 10時30分更新

MSX30周年スロット&スプライトロゴ

 誰だ、黒歴史とか言った奴は!
 さて、前回ではMSX誕生にまつわる話を紹介しましたが、これはMSX30年史の中でもほんの初期にすぎません。今回は、その後に起こったMSXの歴史を(かなり強引に)まとめて説明しましょう。

■MSXの全盛期といえるMSX2規格

 1983年に誕生したMSX規格(以後MSX1)は、当時のパソコンとしては相応に頑張った仕様ではあるのですが、ゲーム専用機であるファミコンとの比較ではやはり表現力に乏しかったことは否めません。全世界共通規格だけに最大公約数的にならざるをえず、どうしても「入手が安定した部品」、「枯れた部品」で構成せざるを得ませんでした。また、なんだかんだで最後は急いで策定せざるを得なかった面もあり、当時の“御三家PC”などと比べオリジナリティが出せていませんでした。もちろんスロットにいろいろと拡張機器をさせば個性的になっていくのですが…
※御三家=NEC、シャープ、富士通から発売されていたPC。そのうち詳しく触れるかも。

 そこで、1985年にMSX2規格が登場します。独自に開発したV9938というVDP(画像表示用のプロセッサー)を搭載し、グラフィックを大幅に強化したMSX2は、ゲームを作る際の表現力が大幅にアップ。また、従来難しかった漢字の表示に対応するなど、パソコンとしての地力も強化されました。
 しかし、当初発売されたMSX2本体は価格が10万円程度と高く、MSX1からの市場の転換はなかなか進みませんでした。その事態を打開したのが、1986年10月に松下電器(当時の社名)から発売された『FS-A1』です。本体の大幅なコストダウンに成功し、定価2万9800円で販売されたA1は大ヒットを記録したのです。それにともないソフトウェアも充実。その後1989年くらいまでは毎月数えきれないほどのゲームが発売されました。
※A1は当時海外でのみ使用していた“Panasonic”という松下電器の世界展開ブランドを初めて日本向けに使用したことでも歴史に残る製品です。ちなみにそれまでは“National”でした。♪あっかっるぅ~いなっしょなぁ~る♪あっかっるぅ~いなっしょなぁ~る…。歌える人はアラフォー以上。それにしても、いまでは社名まで変えるとは当時は想像もできませんでしたなぁ(遠い目)

MSX30周年記念_第1回
↑松下電器(現パナソニック)の『FS-A1』は、パソコンとしては破格のお値段で販売された。“アシュギーネ”という謎生物がイメージキャラクターでしたね。

 また、1987年にはソニーがFDD(フロッピーディスクドライブ)を内蔵して5万4800円という低価格を実現した『HB-F1XD』を発売。MSXもFDDが普及する時代を迎えたことで、ますますソフトウェアは増え、またユーザーによる自作プログラム文化も盛んになっていくのでした。MSXの30年の中で“全盛期”はいつかと聞かれれば、この1987年~1988年あたりというのがもっとも適当な答えではないでしょうか。
※FDDが普及する前、MSXユーザーたちはカセットテープにプログラムを保存していました。速度・容量ともに雲泥の差があったのですよ。

MSX30th_anniversary
↑ソニー『HB-F1XD』は、フロッピーディスクドライブを内蔵。フロッピーディスクは、3.5インチで、“2DD”と言ってたった720KBしか容量がありませんでした。それでもカセットテープとは比較にならない夢のような速度と容量だったんだぞ。初期のMSXユーザーからしたらホントにいつかは手に入れたい“憧れ”だったんだってば!! (写真はMSXマガジン1988年3月号より)


■結局出なかったMSX3、そしてユーザーはサバイバルへ…

 1988年にはMSX2+規格が登場。VDPはV9958へと進化し、FM音源が事実上の標準になるなど表現力はさらにアップしましたが、規格名が“MSX3”ではないことからも分かるようにマイナーチェンジ的正常進化にとどまり、ユーザーには中途半端な印象が残りました。

MSX30th_anniversary
↑FDD付き低価格MSX2には参加しなかったサンヨーが、満を持して投入したMSX2+機がこれだ。BASICコンパイラー(BASICで書かれたプログラムをマシン語並みの超高速で動かす)を標準で装備する。だからゲーム制作などプログラミング重視の大人っぽい人はこちらを選んだ。と、選んだ人から強く力説された。(写真はMSXマガジン1988年11月号より)

 1990年には“MSXturboR”規格が発表。CPUが8ビット(Z80A)から16ビット(R800)に進化し、ターボという名の通り大幅な高速化がはかられたのですが、ユーザーが期待していた新たなVDPは採用されず従来のまま。これもまた“MSX3”を名乗れるだけの劇的な変化とはなりませんでした。

 当時のMSXユーザーが期待していたのは、同時期に発売された任天堂の『スーパーファミコン』に対抗できる表現力であり、またそれを自分でいじくることができる楽しみだったはずですが、それを得ることはできませんでした。また、パソコン市場は当時「国民機」と言われたNECのPC-9801シリーズが支配していました。スーファミ以上の表現力を自作ゲームにという点ではシャープのX68000シリーズが憧れの的になっていました。かくして、MSXは市場でのポジションを少しずつ失っていきます。

 MSXに賛同するメーカーは徐々に減り、turboR規格の本体を発売したのは松下電器ただ1社のみ。1991年に発売された『FS-A1GT』が大手メーカーによる最後のMSX本体となりました。そして、1992年にはアスキーから発売されていた『MSXマガジン』誌も予告無く突然休刊してしまいます。これによりMSXはメーカーからも、そして規格提唱者であるアスキーからも見放された存在となったのです。

MSX30周年記念_第1回
↑メーカーから発売された最後のMSX、松下電器の『FS-A1GT』。turboR規格のマシンは、残念ながら他社からは発売されませんでした。


■サバイバルからリバイバル。ユーザーの力によりMSXは復活へ!

 しかし、MSXの灯がこれで消えたわけではありません。MSXマガジンが消えても、『MSX・FAN』(徳間書店)がまだ残っていました。MSX・FAN誌は読者からの投稿プログラム作品を記事の中心に据えることで本家よりも長生きを果たし、1995年まで発行され、紙面上で読者に対し「生き残るための準備と努力」を最後まで呼びかけ続けました。その影響もあって、当時少しずつ普及しはじめていたパソコン通信やインターネットによって、MSXユーザーたちは交流をはかるようになりました。かくしてMSXによってモノづくりの楽しさを覚えた子供たちが、今度は自ら立ち上がり、MSXの灯をともし続けたのです。

 1990年代後半には同人ソフトやユーザー主催によるイベントがMSXを支えました。そして21世紀に入った2002年には、アスキーから10年ぶりの復活となる『MSXマガジン永久保存版』が発売されます。この本には公式エミュレータ『MSXPLAYer』が収録され、MSXの動作環境がWindows上で再現されたのでした。後には「MSXゲームリーダー」というUSB端子に接続するMSXスロットが発売され、Windows機でMSXのROMゲームが遊べるようになりました。

MSX30th_anniversary
↑著作権的に安全で安心して使えるエミュレーターの草分け的存在。誰でも手軽に使えるようにということで、画面上にソフトウェアキーボードや十字キー、テンキーなど主な入力とFDDアクセスなどのインフォメーションを表示させた。しかもスキンとして自由にデザイン変更できるようになっている。今はマウス等でクリックする仕様だけど、もし今後Windows8に対応させるなら画面タッチできるようにすれば便利そうだ。

 2003年には『永久保存版2』、2005年には『永久保存版3』が発売されます。そして、この“3”では『1チップMSX』なる本体の発売が予告されました。これは、FPGAと呼ばれるチップの中にMSXのさまざまな機能を収めた、いわばMSXのハードウェアそのものです。翌2006年に発売が決定。1チップMSXは、実に15年ぶりのMSX本体となったのです。
※1チップMSXは5000台の限定生産だったため、いまでもヤフオク等では高値で取引されているとか。でも基本的に内部情報がすべて公開されているオープンハードウェアなので、その気になれば誰でも作ることができますよ。え、自分で作る暇がない?それじゃ、いま再生産したら需要があるでしょうか?ぜひご意見をお寄せください。

 そんなこんなで、30年たったいまでもMSXは一部の愛好家によって使用されているわけです。メーカーが手を離しても、MSXは内部構造が比較的シンプルで情報が公開されているため、ユーザーの手でもソフトウェアやハードウェアが作られ、ここまで続いてきました。そして、これからも続いていくはずです。MSXは「やりたい人がやりたいことをやれる範囲でやりたいようにやる」が合言葉。30周年のお祝いに何かしらのアクションができればいいなと考えていますが、読者の皆さんも是非、みんなで集まったり集まらなかったりしつつ好き勝手に盛り上げようではありませんか!と、強い言葉を込めつつ、また来週。

MSX30周年記念_第1回
↑勝手にお祝いした“MSXお誕生日会のデコレーションケーキ”。先週お話したように、6月はMSXの誕生日。ハッピーバースデーMSX!

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ここからはおたよりコーナー
先週の記事に対し、Twitterで寄せられたおたよりをご紹介します。
 

@egoochoさん
MSXで一番インパクトを受けたのは、某社に入社後すぐ工場で生産していたアラビア語のMSX機。ヘビのような文字がキー入力とともに右から左に流れていったのは衝撃的だった。

--- MSXは世界で500万台出荷したと言われています。日本だけでなく、韓国、ヨーロッパ、ブラジル、そしてこのおたよりにあるようにアラビア語圏でも販売されていました。その生産工場にいらっしゃったということですね。日本で作っていたんですね。

@HRH4423さん
私の初めてのMSXはFS-A1。モニタとRGBケーブル付きでした。今考えると恵まれた環境にありましたね。親に感謝です。

--- 今回取り上げた松下電器の人気機種。価格が安かったため、家にあったというかたも多いのでは? FS-A1といえば、なぞの生物アシュギーネですが、某時代劇のCM枠で宣伝していたため親達の認知度は抜群でしたね。家庭用テレビにも映るMSXだけどあえてモニター&RGBケーブルという点に子どもへの「愛」を感じますね。

@masa_seimiさん
MSXがなかったら、この仕事・会社には入らなかった。良くも悪くもMSXで人生は変わった。

--- そういう人、多いと思います。今回の本文にも書いてありますが、比較的構造がシンプルだったため、入門機としてだけでなくとことんいじり倒すのに最適なマシンでした。MSX-DOSなどちょっと高級機っぽいソフトがそろっているのもよかった!

@mpark_yokohamaさん
MSXと言えば、パイオニアのを買ったなぁ。LaserDiskと連動でき、LaserDsikにプログラムが入ったタイトルで遊べた。LD拡張があるおもしろいMSXだった。

--- パイオニアの『PX-7』でしょうか。MSXのおもしろいところは、統一規格であるにもかかわらず、各社の強みを生かした個性的なマシンがいろいろ出ていたことですね。

それでは今回はこのあたりで。
この下の“ツイートする”ボタンをおして、ぜひみなさんが持っていた機種やMSXの思い出などを教えてください! また、この場でご紹介させていただくかも!

 

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