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週アス回顧録:序──アスキー分裂騒動とスタッフの離脱

2012年11月23日 15時30分更新

(週刊アスキー8/21-28号掲載コラム『Scene 2012』を再構成しています)

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 『僕がアップルで学んだこと』(アスキー新書)の著者である、松井博さんにインタビューさせていただいた。松井さんは1992年からアップルジャパン、2002年からは米国のアップル本社で勤務され、2009年に退職するまで、長くアップルの第一線で活躍されたキャリアをもつ。アップルが「ダメダメだった時代」、そしてスティーブ・ジョブズが復帰し、瞬く間に輝かしい企業に変身する様、その時代を、内部でつぶさに見てきた方である。お話はあまりにおもしろく、すべてここでブチまけたい衝動に駆られるほど。
 松井さんの本を読みながら、自分も昔のことを語りたくなった。ずっと封印してきた話。週刊アスキー創刊前夜から創刊1年目あたりの約2年間、自分はあのとき何を考え、どんな判断をして、週刊アスキーという雑誌に至ったのか。記憶が完全に風化する前に書き残しておこうと思う。今回を入れて全4回。断わっておくが、ジジィのただの回顧録だ。それ以上でもそれ以下でもない。

満を持して創刊した雑誌の休刊

 1996年は、個人的には「諦め(あきらめ)」の年だった。今の政権与党、民主党が発足した年であり、年末には、スティーブ・ジョブズがNeXT OSを引っ提げてアップルに非常勤顧問として復帰した年でもある(暫定CEO就任は翌年)。
 が、自分の身に降りかかっていたのは、前年華々しく創刊した雑誌『CAPEーX』の休刊と、アスキーの分裂騒動であった。相当な思い入れをもって創った雑誌の失敗、しかも1年を経ずしての休刊は、けっこう神経にこたえた。実は、その4年前に部数の低迷していた『EYE・COM』という雑誌を引き継ぎ、堂々の10万部雑誌にするという、こちらのほうは華々しい成功体験を勝ち得ていた。しかも1年を経ずして実売10万部達成。成功も失敗も速度戦だった。

 編集者として初めての敗北の傷もまだ癒えぬ5月、今度は会社の分裂騒ぎが起こる。騒動の中心は、そのときの上司と元上司。特に元上司は、ヒラの編集担当だった自分を、いきなり編集長に大抜擢してくれた人である。とてもひと言では語れないほどに恩義を感じていた。ちなみに酔っ払うと最悪の人格が露出するのだが(笑)、僕は、そういうときの酒席の同伴もそんなに嫌いじゃなかった。何よりひとりの編集者として、尊敬し、敬服していたのだ。
 その彼がアスキーを去り、新会社をつくるという。心が揺れた。いや、揺れたなんていうもんじゃなかった。

 分裂騒動を知ったのは、出張先のロサンゼルスでだった。
 「F岡さん、大変なことが起きてますよ!」
 夜中、スタッフからの電話で叩き起こされた。状況を把握するにつれ、このまま帰国しないでアメリカに残っていようかと本気で考えた。雑誌の休刊で塞ぎ込んでいた気持ちはいつの間にか霧消し、今度は憂鬱だけが脳内に幕を張ったように取り残された。

「読者」と「スタッフ」を選んだ

 その年の夏、自分がどんなふうに過ごしたのか、まったく覚えていない。ただ、会社に行って、原稿チェックをし、色校正を見て、会議をやって、たんたんと日常を繰り返していたのだと思う。元上司のつくった新しい会社のオフィスをみんなで見学に行ったりもした。「のんき」と言われれば、まったくそのとおりだ。結局、自分の編集部のスタッフも含め、そこそこの数のメンバーが、アスキーを辞めてその会社に移っていった。

 自分は……辞めなかった。
 義理と人情。そんな陳腐な天秤が本当にあるとは、そのときまで想像すらできなかった。が、僕はそのときの「読者」と「スタッフ」を選んだ。

●11月25日開催のASCIIフェスで、週アス・月アス歴代編集長によるトークセッションをご用意しております(11時15分〜)。ご興味のある方は、是非お越しくださいませ。by ACCN

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